17才でエログラマデビュー2009/06/01 15:14

たしか1988年の事だと思う。
17才の時、KENJIはフェアリーテール(現F&C)へ入った。
給料も高校生の自分にとっては莫大な27万であり、好待遇だった。

それまでにも小学生時代から雑誌に自作ゲームが載ったり、
入ってみたら、自分が一番出来ると感じたことで、
その高給には全く引け目はなかった。
(若さゆえの傲慢も有ったw)

そこのスタッフからもKENJIは出来るね。と言われたがそれが当然だと思っていた。

しかし、入社後の初仕事は、本業とは別のZ80(PC88)でチップエディターを作ることだった。

まあ、思うことは有るにしても、
小手調べとしてKENJIエディターという物を作った。
(今思うに、画面にKENJIと言う文字がでかく出るところに、自分の自己顕示欲の強さを感じるw)

しかし、強敵が現れた。それはCGのしかとみよさんだった。
なんと、KENJIの文字を「○○(しかとみよさんの本名)」に変えたのだった。

僕は意地になって、プロテクトをかけたw。

その後、フェアリーテールでは、リバティー、セーラー服戦士フェリスの企画とプログラム、殺しのドレス2の名前入力ルーチン、晴のち大騒ぎのスタッフロールを作った。
変わった物ではきゃんバニ1のシナリオの一部などもやった。
リップスティック2でも、何かをやらされた覚えがある。
(フェアリーテールとカクテルソフトの関係は、自分たちには知らされてなかった)

リバティーはアルカロイド、セーラー服戦士フェリスはもろグラディウスとヴァリスのパクリだった。

たしか、リバティーとフェリスの原画は社内で投票するという画期的な物だった。

フェリスでは問題が発生した。PC88版のプログラマーから、当たり判定のアルゴリズムを座標方式からマップ方式に変えてくれとのことだった。
問題は2つ以上の物体が出る場合には、(チェーンを使わない)マップ方式では、1体しか判別出来ないことだた。
しかし、88の動作スピードなどを考えて、(チェーンを使わない)マップ方式に変更した。

晴のち大騒ぎのスタッフロールでは、ゲーム本体は384kbで動くのだが、スタッフロールは640kb必用で、無い場合はハングしてしまうと言うふざけたプログラムを組んだ。なめたガキだった。

その後、運転免許拾得、学校卒業と、仕事と学業を両立していと考えていたが、徹夜の際の仮眠や食事時にタイムカードを押してなかったために、社長に胸ぐらを捕まれた。大人が子供に殴りかかるなんて、当時はビックリした。前述のタイムカードとフェリスの売上の悪さを考えると当然なんだがw
しかし、その大人を子供である自分が簡単にあしらう事ができたのもビックリした。それ位、自分は子供だった。

その後はFM音源とMIDIのプログラムをディスアセ(ヤマハ/ローランドはエロゲメーカーに情報を公開しなかった)しながら色々研究して、最後には退社した。

研究には機材を買いそろえてくれた。それらを後年まで使ってた様だ。

良く、「コズミックサイコのプログラムもKENJIさん?」と聞かれるが、組んだ覚えもないし、仮にシステムを流用したとしても最適化のスパゲッティで大変だったと思う。

まあ、とりあえずは円満退社だった。
このとき、しかとみよ氏、美龍氏、林家ぱー氏、斎藤けん坊氏、秋まさき氏、白鳥れいこ氏、藤原昭久氏、などと出会った。
大越氏は、すれちがいだった。
中学時代からの悪友でプログラマのY.Dは、X68000のプログラムを組んでいた。