バーディーソフト ― 2009/07/16 13:04
自分がDISCOVERY時代にはバーディーソフトには入り浸っていた。
もちろん仕事もあるが。
美龍氏、林家氏、あきまさき氏が、
ユーザーアンケートハガキを真剣に見て、
丁寧に出来る限り返事を返していたのが思いかいされる。
それと、何時も出前をとっていた定食屋。
トゥインクル時代も懐かしくなって1度行った。
事務所も狭いビルで螺旋階段だった。
1階下のバーディー1課の藤原さんともあった。
社長は太っ腹で、隣のガソリンスタンドのツケを全員分、全部払ってくれた。
一度、修学旅行生が、バーディーソフトに見学に来たらしい。
みんなあわてて対応したと聞いた。
あの時代、自分はR1-Zという2stバイクに乗っていた。
一応二人乗りだが、美龍氏とスト2基盤を買いに行ったときには、
二人乗りの間にスト2基盤とコンパネを挟んで、
超特急で秋葉から堀切まで帰ったのが懐かしい。
美龍氏は自分の後ろ、腐れ縁のYD氏はZZR250、林家氏はSR250、
秋氏はヤマハの50ccのレーサーレプリカのでかい奴(車名忘れた)で、
徒党を組み、甘い物パーティーと称して林家氏の実家近くの不二家へ
ドライブしたのが懐かしい。
YD氏とは、再開発前の秋葉で、ジャックナイフでどこまで
高く止まれるか、競った。自分のR1-Zは前輪ディスクブレーキなので、
何時も勝ってたが。
それとカーブで、リアタイヤが滑る感触を楽しんでいた。
バイクは自分のコントロールに良く付いてきてくれたし、
限界性能も分かり易かった。
関係ないが話しだが、
DISCOVERYのソフトがマスターアップしたときは、
徹夜明けの自分とYD氏でマスターを届けていた。
首都高ではカウルが付いていないR1-Zが、
カウルの付いているZZRに遅れを取った事もあった。
砂もヘルメットにモロに当たるのだ。
(首都高はダンプが多く、砂が良く飛ぶ)
雨の日も、容赦なくマスターを持って行ったものだ。
後年、ポルシェ996と言う車にのったが、
R1-Zの加速感にはかなわなかった。
しかし最高速は996の方が上で、
東北道でカーナビで4時間と出たところを、オービスを避けながら
200km/hで巡航し、2時間で走破したことがある。
その後、同乗していた妻が、なかなかドライブに行ってくれなかった。
しかし、その996もベイブリッジを渡って首都高と湾岸の合流前の
カーブでスピン、ボンネットがぐしゃりとつぶれて、
まじで良く生きていたという自損事故を起こした。
色々と愛着があったので全損の996を直したが、
直した後はそんなに乗らずに売った。
今は軽自動車に乗っている。高速は怖くて乗れないが、
街乗りはこれで十分だ。
しかし、偶に2STの加速力や、996の加速力が懐かしくなり、
乗りたくなることもある。
もちろん仕事もあるが。
美龍氏、林家氏、あきまさき氏が、
ユーザーアンケートハガキを真剣に見て、
丁寧に出来る限り返事を返していたのが思いかいされる。
それと、何時も出前をとっていた定食屋。
トゥインクル時代も懐かしくなって1度行った。
事務所も狭いビルで螺旋階段だった。
1階下のバーディー1課の藤原さんともあった。
社長は太っ腹で、隣のガソリンスタンドのツケを全員分、全部払ってくれた。
一度、修学旅行生が、バーディーソフトに見学に来たらしい。
みんなあわてて対応したと聞いた。
あの時代、自分はR1-Zという2stバイクに乗っていた。
一応二人乗りだが、美龍氏とスト2基盤を買いに行ったときには、
二人乗りの間にスト2基盤とコンパネを挟んで、
超特急で秋葉から堀切まで帰ったのが懐かしい。
美龍氏は自分の後ろ、腐れ縁のYD氏はZZR250、林家氏はSR250、
秋氏はヤマハの50ccのレーサーレプリカのでかい奴(車名忘れた)で、
徒党を組み、甘い物パーティーと称して林家氏の実家近くの不二家へ
ドライブしたのが懐かしい。
YD氏とは、再開発前の秋葉で、ジャックナイフでどこまで
高く止まれるか、競った。自分のR1-Zは前輪ディスクブレーキなので、
何時も勝ってたが。
それとカーブで、リアタイヤが滑る感触を楽しんでいた。
バイクは自分のコントロールに良く付いてきてくれたし、
限界性能も分かり易かった。
関係ないが話しだが、
DISCOVERYのソフトがマスターアップしたときは、
徹夜明けの自分とYD氏でマスターを届けていた。
首都高ではカウルが付いていないR1-Zが、
カウルの付いているZZRに遅れを取った事もあった。
砂もヘルメットにモロに当たるのだ。
(首都高はダンプが多く、砂が良く飛ぶ)
雨の日も、容赦なくマスターを持って行ったものだ。
後年、ポルシェ996と言う車にのったが、
R1-Zの加速感にはかなわなかった。
しかし最高速は996の方が上で、
東北道でカーナビで4時間と出たところを、オービスを避けながら
200km/hで巡航し、2時間で走破したことがある。
その後、同乗していた妻が、なかなかドライブに行ってくれなかった。
しかし、その996もベイブリッジを渡って首都高と湾岸の合流前の
カーブでスピン、ボンネットがぐしゃりとつぶれて、
まじで良く生きていたという自損事故を起こした。
色々と愛着があったので全損の996を直したが、
直した後はそんなに乗らずに売った。
今は軽自動車に乗っている。高速は怖くて乗れないが、
街乗りはこれで十分だ。
しかし、偶に2STの加速力や、996の加速力が懐かしくなり、
乗りたくなることもある。
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