Discovery身売りと殻の中の小鳥のロイヤリティー騒動 ― 2009/06/10 00:06
そこで事件が起こる。
時間は少し遡るが、マスターアップした後、みんなで仮眠を
取っていた。
そのとき栄夢氏が「今回の金額では少ない」と、
いきなり言い出した。
本当に寝耳に水である。自分は激怒し、
皆は呆れた覚えがあるが、
彼がした仕事に対してちゃんと報酬を求めただけである。
自分はそうしたところが無頓着であった
後日、栄夢氏と新井氏は、雇われ社長と話をし、
莫大なロイヤリティーの確保に成功した。
栄夢氏は子供っぽい所があるのだが、
自分の要求をストレートに言えるところがあった。
むろん、梯子を外された形になる自分にはもらえなかった。
(要求もしなかった)
まあ、これからソフトを作っていければいいや。
と思ってたからもあるが。
しかし、未練もあった。
殻の中の小鳥の権利の一部は自分も持っていると、
ゲームの著作権に詳しい弁護士さんは話していた。
しかし、醜い争いをユーザーに見せないため、
自分は手を出さなかった。
しかし、あの当時、1人だけブームに乗ることも出来ず
かといって自分で作った作品であり複雑な思いをした。
それが遠因となって、一時期、商標権を取得した。
結局は権利の行使をすることはなかったが。
(暇な人は特許庁の商標データベースで調べてください)
DiscoveryはGEOに買収された。
買収の以前に自分はBLACKPACKAGEの存続を約束していた。
しかし、その約束は反故にされた。
残ったのはDiscovery/GEOと栄夢氏の団体のみだった。
推測で物事を言いたくはないが、
雇われ社長と自分の険悪な関係からではないだろうか。
仲の良い栄夢氏と彼で何とかなるとでも思ったのだろう。
Discovery/GEO内部にも2派いたが、
しかとみよ氏とA氏とN氏のいる1派からは、
色々と便宜を図ってもらった。
ありがとうの一言では感謝しきれない。
お金にも手が詰まった自分は、
当時の新OS-Win3.1/95のプログラムの仕事を死ぬほどした。
OL進化論やNTTの電話帳のスクリーンセーバー、
ゲームシステムの販売など、死ぬほど仕事をした。
未払いもいっぱいあった。
(その後のBLACKPACKAGE時代も1千万は未払いや
貸し倒れ金があったが)
幸い、BLACKPACKAGEの屋号の使用権はもらえるようになり、
新生BLACKPACKAGEは出資者が自分以外
いらない状態で出発できた。
社長は付いてきてくれたDONOVAN氏だ。
自分の留守中はDONOVAN氏が守ってくれた。
しかし、いつもお金の面では悩まされた。
給料は死ぬ気でGEOと同等の金額を払った。
お金がないときには稼ぎに出た。
ずっと、外で仕事をしていたのを思い出す。
こうしてDiscovery(GEO内2派)、B-ROOM、
BLACKPACKAGEに分裂した。
時間は少し遡るが、マスターアップした後、みんなで仮眠を
取っていた。
そのとき栄夢氏が「今回の金額では少ない」と、
いきなり言い出した。
本当に寝耳に水である。自分は激怒し、
皆は呆れた覚えがあるが、
彼がした仕事に対してちゃんと報酬を求めただけである。
自分はそうしたところが無頓着であった
後日、栄夢氏と新井氏は、雇われ社長と話をし、
莫大なロイヤリティーの確保に成功した。
栄夢氏は子供っぽい所があるのだが、
自分の要求をストレートに言えるところがあった。
むろん、梯子を外された形になる自分にはもらえなかった。
(要求もしなかった)
まあ、これからソフトを作っていければいいや。
と思ってたからもあるが。
しかし、未練もあった。
殻の中の小鳥の権利の一部は自分も持っていると、
ゲームの著作権に詳しい弁護士さんは話していた。
しかし、醜い争いをユーザーに見せないため、
自分は手を出さなかった。
しかし、あの当時、1人だけブームに乗ることも出来ず
かといって自分で作った作品であり複雑な思いをした。
それが遠因となって、一時期、商標権を取得した。
結局は権利の行使をすることはなかったが。
(暇な人は特許庁の商標データベースで調べてください)
DiscoveryはGEOに買収された。
買収の以前に自分はBLACKPACKAGEの存続を約束していた。
しかし、その約束は反故にされた。
残ったのはDiscovery/GEOと栄夢氏の団体のみだった。
推測で物事を言いたくはないが、
雇われ社長と自分の険悪な関係からではないだろうか。
仲の良い栄夢氏と彼で何とかなるとでも思ったのだろう。
Discovery/GEO内部にも2派いたが、
しかとみよ氏とA氏とN氏のいる1派からは、
色々と便宜を図ってもらった。
ありがとうの一言では感謝しきれない。
お金にも手が詰まった自分は、
当時の新OS-Win3.1/95のプログラムの仕事を死ぬほどした。
OL進化論やNTTの電話帳のスクリーンセーバー、
ゲームシステムの販売など、死ぬほど仕事をした。
未払いもいっぱいあった。
(その後のBLACKPACKAGE時代も1千万は未払いや
貸し倒れ金があったが)
幸い、BLACKPACKAGEの屋号の使用権はもらえるようになり、
新生BLACKPACKAGEは出資者が自分以外
いらない状態で出発できた。
社長は付いてきてくれたDONOVAN氏だ。
自分の留守中はDONOVAN氏が守ってくれた。
しかし、いつもお金の面では悩まされた。
給料は死ぬ気でGEOと同等の金額を払った。
お金がないときには稼ぎに出た。
ずっと、外で仕事をしていたのを思い出す。
こうしてDiscovery(GEO内2派)、B-ROOM、
BLACKPACKAGEに分裂した。
BLACKPACKAGE ― 2009/06/10 00:07
2009年、38才。
そうして出来たBLACKPACKAGEも13年。
ずっと補強しながら使ってきたシステムを担保に
2009年の1月にDirectX9(Direct3D)を使いシステムを
新規に作り直していた。
キャラの3D表示やオブジェクトの表示に対応した。
しかし、急速にプログラムに興味を失った。
ほぼ、出来上がっていたコードは破棄した。
原因は自分がPHOTOSHOPや3Dツールを
上手く使い切れず、
新システムの演出のスペックを生かせないと
自分で悟ったからと、
モチベーションの問題だった。
21年間、いつも日陰だった自分に
嫌気がさしたのかもしれない。
プログラムを組んだ商業パッケージは優に100タイトルを越えた。
そのロイヤリティー収入で10年は何もしないで食べていける。
その上、動かない足、多量の薬とアルコールだ。
もう、自分の役割は終わったのかも知れない。
後進は、ずっと自分の下でやってきてくれた、
thukune氏に任せることにした。
thukune氏は、一から作ることを選択したようだ。
絵心がないプログラマーは、
今後生きていけないだろう。
意外なことに、絵心のあるプログラマーは多い
thukune氏もその1人である。
自分も一度だけセーラーマーズの絵を
会報か特典に寄稿したことがある。
ちゃんとペン入れをした。
余談だが、美龍氏の知り合いのシナリオライター
のアリスのトリさんも、絵が上手い。
美龍氏の同人誌に寄稿もしてもらった。
よく、長電話もしていた。
病気で退社と言うのがきになる。
知人がアリスの会員なのだが、
トゥインクル☆スターの絵がフルカラーで会報に
載っていたのはビックリした。
新システム自身は、
コンフィグ画面を作るだけになっていたが、
絵心のない自分には良い物は作れなかった。
これがプログラマ人生終わりなのかはわからない。
何年後かに、何か作るかも知れない。
それは、わからない。
そうして出来たBLACKPACKAGEも13年。
ずっと補強しながら使ってきたシステムを担保に
2009年の1月にDirectX9(Direct3D)を使いシステムを
新規に作り直していた。
キャラの3D表示やオブジェクトの表示に対応した。
しかし、急速にプログラムに興味を失った。
ほぼ、出来上がっていたコードは破棄した。
原因は自分がPHOTOSHOPや3Dツールを
上手く使い切れず、
新システムの演出のスペックを生かせないと
自分で悟ったからと、
モチベーションの問題だった。
21年間、いつも日陰だった自分に
嫌気がさしたのかもしれない。
プログラムを組んだ商業パッケージは優に100タイトルを越えた。
そのロイヤリティー収入で10年は何もしないで食べていける。
その上、動かない足、多量の薬とアルコールだ。
もう、自分の役割は終わったのかも知れない。
後進は、ずっと自分の下でやってきてくれた、
thukune氏に任せることにした。
thukune氏は、一から作ることを選択したようだ。
絵心がないプログラマーは、
今後生きていけないだろう。
意外なことに、絵心のあるプログラマーは多い
thukune氏もその1人である。
自分も一度だけセーラーマーズの絵を
会報か特典に寄稿したことがある。
ちゃんとペン入れをした。
余談だが、美龍氏の知り合いのシナリオライター
のアリスのトリさんも、絵が上手い。
美龍氏の同人誌に寄稿もしてもらった。
よく、長電話もしていた。
病気で退社と言うのがきになる。
知人がアリスの会員なのだが、
トゥインクル☆スターの絵がフルカラーで会報に
載っていたのはビックリした。
新システム自身は、
コンフィグ画面を作るだけになっていたが、
絵心のない自分には良い物は作れなかった。
これがプログラマ人生終わりなのかはわからない。
何年後かに、何か作るかも知れない。
それは、わからない。
最近のコメント