スタジオ・トゥインクル時代2009/06/06 10:37

そんなこんなで、スタジオ・トゥインクルを始めた。

スタッフは、
美龍氏、林家ぱー(林家志弦)氏、秋まさき氏、
(元バーディーのCGの)OKI氏と自分の5人であった。
代表はもちろん美龍氏、経理担当は自分だった。
実質、リリーススケジュールを出したり、発売日を
出したりしたのは自分で、
後年のBLACKPACKAGEと同方式だった。
(自分はBLACKPACKAGEの社長ではなく
取締役開発部長だ)

あのときの5人は
親友と言ってよいほど結束力が高かった。
ただ、自分がいないときには自分の悪口が
言われて無いかと皆内心は心配だったと今では思う。

みんなの給料に関しては、
自分と美龍氏の貯金から出し、
毎月1人6万円ずつになった。
この金額は現在では考えられないと思う。
それが通ったのも、この業界はまだ若く、
自分たちは『一つの目標に向かって進む仲間』であり、
一日の食事を制限してでも皆でソフトを作りたいと
皆が思ってたからこそ出来たことである。

流通は自分が以前から付き合いのある
RSKのK氏に頼んだ。

音楽はその頃から親交のあった
HuMI氏(佐野広明氏)に依頼したと思う。
HuMI氏と出会ったのはたしか東京BBSだったと思う。

そして出来処女作 Mirror-鏡-は、
即席で作ったにしては出来はそこそこだったのだが、
売上がバーディーで作ったCALの数万本単位に対して、
4000本と急落した。
自分たちはブランドなんて関係ないと思っていたが、
そう易々とは行かなかった。

お金のやりくりは、全部自分が扱っていたので、
相当厳しかったのを覚えている。

Mirrorはパッケージが初めてのデジタル入稿だったので、
ネガポジ逆転で広告に載った覚えがある。
パッケージは無事だった。
この様に初期の頃からパッケージにセルではなく、
デジタルで入稿していた。

もしかするとMirrorはHuMI氏では無かったかも知れない。


そして金銭的にも苦しい中で制作した
分裂守護神トゥインクル☆スター。
続きは明日。